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東京高等裁判所 昭和29年(く)67号 決定 1954年12月28日

抗告申立人 小杉岩雄

主文

原決定を取消す。

検察官の抗告人に対する刑執行猶予の取消の請求はこれを棄却する。

理由

本件抗告申立の理由は、原裁判所は申立人が昭和二十九年四月二十七日前橋地方裁判所高崎支部に於て準強盗、窃盗の罪により懲役二年六月三年間刑執行猶予の判決言渡を受け同年五月十二日右刑の確定を見たる後申立人が別に昭和二十八年四月七日前橋地方裁判所に於て食糧管理法違反の罪により懲役四月罰金五千円三年間刑執行猶予の判決言渡を受け確定したことが発覚したとの理由の下に刑法第二十六条ノ二第三号、同刑事訴訟法第三百四十九条の規定を適用して先づ後者の刑の執行猶予の言渡を取消す旨の決定を為されたものであるが右決定は左記諸理由により妥当でないと思料するにより之を更正せらるるか若くは之を取消しの上検事の本件取消請求を却下せらるるのが相当と信ずる、即ち

一、刑法第二十六条ノ二は「左ニ記載シタル場合ニ於テハ刑ノ執行猶予ノ言渡ヲ取消スコトヲ得」とありて必ずしも取消すことを要する強行規定でないこと勿論であつて仮令猶予の言渡前他の罪につき禁錮以上の刑に処せられた其の執行を猶予せられたることが発覚した場合があつても事情によつては猶予の言渡を取消さないことが出来る建前であつて之は一つに裁判官の自由裁量に委されて居るのである。

犯行の情状が悪く再度の執行猶予は如何にも失当であつたと云ふ場合とか又は全然同種の犯罪につき前の執行猶予が発覚せなかつた為誤つて再度の執行猶予が与えられた場合とかであるならば格別であるが斯る特別の事情がない限り可及的にこの任意規定の精神を生かして取消は避くべきものである。

と思考する。

二、飜つて本件両者の事案を案ずるに一は食糧管理法違反被告事件にして他は窃盗、準強盗事件であつて両者全然その罪質を異にして居り同罪質の罪により誤つて二個の執行猶予を得た場合ではなく双方共夫れ夫れ各個に当然執行猶予に値する案件であつたのである即ち食糧管理法違反事件に対する刑の執行猶予は同種の他の一般事件に対する科刑の振合ひから見るも誠に相当と云ふべく又準強盗事件は罪名こそ重罪事件なりとは云へ事案は単なる窃盗事件に類する軽微事件(昭和二十八年六月二十八日頃高崎駅構内にて他人の闇米一斗を酒気に乗じて窃取せんとする際被害者に発見されその取還を防ぐ為め被害者を突き飛ばしたとの事案)であつたので原裁判所に於てもその犯情を酌み刑の執行猶予を与へられたものであつて之が量刑も二年六月を下ることの出来ない法定刑であつた斗りに之を酌情の上半減して更に執行猶予を与ふることにより僅かに法定刑の重刑を緩和する措置を取られたものと思料される故に本件の執行猶予は誠に当を得た裁判であつたと謂はねばならぬ従つて之を取消して実刑に処することは実際に犯した犯罪の質量に副はない重刑を科する結果となり申立人に取り極めて不幸な結果を招来する斗りか凡そ刑事政策上も取らざる所と謂はねばならぬ。

三、若し夫れ原決定の通りとせば申立人は懲役四月と同二年六月合計二年十ケ月の実刑を受けねばならぬこととなりその精神的、肉体的苦痛は申すに及ばず、申立人の労働を唯一の頼りとする妻子(妻と七才の男児と四才の女児)は全く生計の途を断たれ路頭に迷ふに至り独り申立人のみならずその家族をも同時に刑罰を受くると同一の結果に立至るなきを保しない。

仍て以上の如き特殊事情の存する本件に於ては刑法第二十六条ノ二の法意を最も有効に生かして適用することにより本件執行猶予の言渡は之を取消さないことにするのが相当で申立の趣旨通りの御決定を希ふ所以である。と謂うにある。

ところで職権をもつて審査するに、刑法第二六条の二第三号の規定によれば、猶予の言渡前他の罪につき禁錮以上の刑に処せられその執行を猶予せられたること発覚したるときには、執行猶予の言渡を取消すことができることを規定し、その取消をなしたときは、同法第二六条の三の規定により、その発覚した執行猶予中の他の禁錮以上の刑についてもその猶予の言渡を取消さなければならないものである。換言すれば右同法第二六条の二により後に言渡された執行猶予が取消された場合に初めて同法第二六条の三により執行猶予中の他の禁錮以上の刑なる前に言渡された執行猶予が取消されることとなり(尤も同時にてもよい)後の執行猶予の言渡の取消なくして前の執行猶予の言渡のみを取消すべき規定は刑法上存在しないのである。然るに本件にありては、原審は前橋地方裁判所高崎支部が昭和二九年四月二七日抗告人に対してなした執行猶予の言渡を取消さないで、前橋地方裁判所が昭和二八年四月七日抗告人に対してなした執行猶予の言渡を取消したものであるから、右は当然前記法条に違反し違法のものと謂わなければならない。従て此の点において原決定は違法であつて、抗告理由について判断する迄もなく原決定の取消を求むる本件抗告はその理由があるものと謂うべく、原決定はその取消を免れない。又原裁判所に対する検察官の刑の執行猶予の言渡取消請求書の記載によれば、検察官は(一)昭和二九年四月二七日に前橋地方裁判所高崎支部が抗告人に対して言渡した刑執行猶予と(二)昭和二八年四月七日前橋地方裁判所が抗告人に対して言渡した刑執行猶予との各取消を請求したものであることが洵に明かであるから、原裁判所としては当然前記二個の執行猶予の取消をするか否かを決定すべきであつたのに、前段説示のとおり右(一)については何等の判断を示さなかつたのであるから此の点においても原審には請求された事件について判断を遺脱した違法があり原決定の取消を免れない。而して原決定が取消さるべきものである以上、当裁判所としては検察官請求の理由の有無を判断して、その許否を決すべきであるが、本件は被告人のみの抗告にかかり検察官の抗告がないから仮に検察官の請求である右(一)の言渡を取消すを相当とし従つてこれと共に右(二)の言渡も亦取消さるべき場合であつたとしても、かかる決定は原決定を被告人の不利益に変更することなることが洵に明かであつて、かくの如きは被告人のみの控訴若くは上告の場合において不利益変更禁止の規定を設けた法(刑事訴訟法第四〇二条第四一四条)の精神を没却するに至るべきを以て、抗告審においてこれを為し得ないものと解すべく一面既に前説示のように(二)の言渡のみの取消は法の許さざるところであるから結局本件検察官の請求は遂にこれを棄却せざるを得ない。

仍つて刑事訴訟法第四二六条第二項に則り主文のとおり決定する。

(裁判長判事 中野保雄 判事 後尾貫荘太郎 判事 渡辺好人)

(抗告理由は省略する。)

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